『平に成る』とかいて平成。実際は激動の『変化の時代』であったように思います。
特に目を見張るのは、技術の進化です。この間まで、ドラえもんの世界の物だったのに、今日はもう当たり前に日常にとけ混んでいる。そのうえ、新商品は次から次へと産みだされ、しかもそのスピードはまだまだ加速の一途をたどっています。コレだけのスピードで新しい物が次々に登場すると、仕組みを調べて納得して利用するのは、ほぼ不可能です。
気がつけば、周りにあるもの、そのほとんどが、私にとって説明できない物に囲まれて生きています。ざっと身の回りの物を見渡してみると、WIFI、スマホ、IH、ヒートテック、エアコン、冷蔵庫、感覚で使いこなしてはいるものの、私には、どれひとつ、まともな解説ができません。
これらの画期的な商品は化学に基づいて設計され、安全を担保し、狙った効果を発揮して、活躍しています。私たちが新しい技術を納得して利用するには、その設計図をよみとく能力が必要であるといえます。が、現実的には難しいですよね?ですから、メーカーの化学力や法によるルールに安全や効果の保証を委ね、感覚的にさまざまな商品を利用しているのが現状です。
つまり私たちの委ねた安全の正体は、法によるルールと
メーカーの化学に基づいた設計図
ということになります。
ところが、設計図どおりに作るときに利用する化学物質や化学薬品たち、なぜかとっても嫌われものですよね。安全のために配合されるはずのこれらの成分は、安全どころか危険だという印象を持つ方が大半です。しかも、化学が与える恐怖心はちょっとやそっとじゃ拭いされない、むちゃくちゃ根深いものです。
恐怖心は人間にとって、大切な防衛本能でもありますが、無駄な恐怖はストレスでしかありません。本来、安全に効果を発揮するための化学物質を、その名前だけで怖いっ!というのも、無駄なストレスだと思います。
人間は化学物質をどうして避けたがるのか?何故こんなにも根強く嫌われるのか?読み解いていきましょう。
Contents
化学物質が嫌われる理由
化学物質は今も昔も嫌われがちです。
私も子供の頃から、化学物質を嫌っていました。母が無農薬の野菜や無添加の食料にとてもこだわる人だったことがきっかけです。ですから、化学薬品と聞くだけでなんとなく怖い気持ちになる事、良くわかります。
私たちが持つ化学物質の恐怖は、いくつかの理由が絡まってできているのだと思います。だからこそ、強大で根深いのです。
最大の理由、化学薬品はわからないものである
何より大きい理由は、ほとんどの人にとって、化学物質が『わからないもの』であることです。
人間はわからないものに恐怖を感じます。
化学物質とは?と問うときに、人の手によって作り出されたものとか、自然界にないものとか、色んな意見があると思いますが、恐怖を感じる人にとって、共通しやすいのが、無意識に、わからないもの=化学薬品であると区分けしている事です。
例えば、食塩を化学薬品と思う人は少ないでしょう。では、エタノールはどうでしょう?ちょっと化学物質臭くなりませんか?ポリクオタリウム-10、陰イオン(アニオン)界面活性剤、ここまで見慣れない名前となると完全に化学物質としか思えなくなったのではないでしょうか?
聞いた事も無い名前、これだけで、無意識に化学物質だっ!と仕分けてしまう傾向が見えてきます。
では次に視覚です。
茶色い粉とベトベトの何かを混ぜた液体、これをシャンプーに配合しますと、得体の知れない液体を見せられたら、この液体は、完全に化学物質にしか思えませんが、
その正体が、ごぼうとキクラゲから抽出したエキスと聞けばどうでしょう?
急に、髪に優しい天然エキス!に早変わりしませんか?
ちなみに、これは実際シャンプーに配合されることのある植物エキスです。
このように、化学物質に仕分けされる物は、名前でも視覚でも、『わからないもの』である事が多いと思うのです。そして、無意識に、化学物質に仕分けられ降り積もった『わからないもの』たちによって、化学薬品というカゴは、謎の巣窟となっていきます。
人間にとって、わからないものは怖いですから、分からない物だらけの化学薬品は実際、怖い物だらけです。
結果、化学薬品という言葉そのものに恐怖を感じてしまうわけです。
本来は、わからないものだけでなく、何かを目的に配合されたものは、すべて化学薬品と呼ぶべきです。
ですから、食塩、エタノール、ポリクオタリウム-10、陰イオン(アニオン)界面活性剤は勿論、茶色い粉とベトベトの何かを混ぜたエキスも、ごぼうやキクラゲから抽出した植物エキスも全部、化学物質とするべきなのです。
問題は、分からないもの=化学物質と無意識に選別してしまっている事で、自ら作り上げた、その振り分けシステム自体に気づいていない方が多いのではないか?と言う事です。
本当のエコと化学物質
化学薬品を悪者にする2つめの背景が、地球にやさしい?などのエコに対する考え方です。最近は地球規模で地球に優しい選択をする動きがどんどん高まっていますよね。
そんな流れの中、何故か、
人工・合成のもの=自然破壊
自然・天然のもの=エコ
という理論が安易に広まってしまっていると感じています。もちろん、この考え方が、100%間違っていると言ってる訳ではありません。自然に生み出されたものは自然の中で消化され巡る。自然に無いものは自然界に受け入れられず消化されない、そういった傾向は間違いなくあると私も思います。
海のごみ問題の代表、漂い続けるプラスチックゴミが良い例のうちの1つですね。
ですが、この問題、正確にはプラスチックが、人工物だから漂い続ける訳ではありません。正しくは、プラスチックの生分解性が低いから海に漂い続ける事になってしまったのです。生分解性とは、自然界で微生物などによって自然に分解される性質の有る無しを言います。へりくつにしか聞こえないかもしれませんが、大切な理屈です。
化学物質というか、化学のすごいところは、生分解性とはどういうもであるのかを具体的に読みとき、自然界のものだろうが、人工物であろうが、あらゆるものの生分解性を分析する事で、正しい方法を選別できるということです。
実際、海に漂うプラスチックの事態を重く受け止めた人間たちは、水中での生分解性の高いプラスチックに切り替えて使用しています。海を漂うプラスチック問題を改善するものも、化学による分析であり、化学物質であったという事です。
エコとは、海に漂うプラスチックをみて考え込む人間の思想と、化学的にその問題を分析して、解決策を産み出す行動を指すものであり、自然物を愛する事でも、ましてや、化学薬品や化学物質を憎む事ではないのです。
実際の化学物質が生んだ事件による恐怖
茶のしずく(石けん)による小麦アレルギー問題、カネボウの美白化粧品による白班事件、近年でも、さまざまな化学物質が原因とされる事件が実際に起きています。これらの事件は、真相を知れば知るほど、問題は深刻であることが見て取れます。
私が、これらの事件が深刻であると考える理由は、試験管での研究の成果をえて、安易に満足してしまっているのではないか?と思わせる点。化学を利用した、安易すぎる営業戦略と商品開発が垣間見える気がするという点です。少なくとも、これらの要素なしに、こんな大規模な事件が起きるはずが無いと思います。
簡単に事件の原因だけを解説すれば、茶のしずく事件は、低刺激と誤解のある人気者の石けん。この石けんのアルカリが持つ超高刺激性を無視して、安易に採用してしまった他の成分との、ミスマッチが引き起こした誤算による事件といえます。
カネボウの美白化粧品による白班事件は、紫外線を防ぐだけならまだしも、シミを作るメラノサイトそのものの働きを妨げるという、人体本来が持つ、何らかの根幹をなす部分に、化粧品などという日常品で、安易に介入させてしまった化学者あるまじき行為によって起こった事件と言えると思います。
ただでさえ、何らかの効果を得ようと思ったとき、絶対安全と言うことはあり得ません。なぜなら、生き物である人体は、一人一人違う事はもちろん、時や場所によりさまざまな反応の変化が生じるからです。ですから、絶対安全と言うことはあり得ません。
だからこそ、化学者は絶対の信念を持って、安易に訳の分からぬ商品開発や営業戦略をする事を避けてほしいものです。が、少なくとも大手のシャンプーの成分表示や広告なんかを見ると、売れれば良いといった、背景がボンヤリ見えてしまうのは事実です。※危険な成分が入っていると言っている訳ではありませんのでご安心を。
このように、化学物質と言うよりも、安易な広告で惑わす製品や、魔法のような効果をもつ化粧品は、平気で危険をはらんでる場合は確かにあります。化学物質は嫌う必要は無いですが、残念ながら、製品そのものを疑う必要はあります。
化学物質が嫌われる大きな要素として、このような安易で腹ただしい事件が大きな要因と成っているのは言うまでもありません。
化学物質が与える恐怖が生んだ誤解たち
化学物質には、恐れるべき理由、事例があるのは残念ながら事実です。
ただし、化学によって解明されたさまざまな危険や、化学物質が安心に働きかける成果のことを考えれば、圧倒的に受け入れるべき物です。化学物質が嫌われる事によって生まれてしまった誤解がいくつかあります。
天然物は愛される、化学物質は嫌われる
化学物質ってなに?と問うと、一番多いんじゃないかな?と思われる答えが、
天然物じゃないもの
人の手によって産み出された人工物
という答えです。
この考え方にのっとって、化学物質を人工物と考えて、天然物と比べてみましょう。
結論から言えば、天然素材は不明なもの、人工物はハッキリしたものといえると思います。
天然物はそのままでは混じりっけがあるかもしれないと言えるからです。
例えば、植物エキスで考えてみましょう。
天然のツバキから搾取した油をそのままシャンプーに配合した時、本来はツバキ油に含まれない想定外の成分が配合されてしまうことがあります。虫や細菌、微生物、雨や気候の影響、付着した薬品などなど、いくらでも、想定外の成分は考えられます。だから、天然物は危険と言いたい訳ではありません。
もちろん、実際に天然物が配合されているとされるシャンプーが危険を及ぼす可能性は、限りなく0に等しいです。それは、何らかの下処理が行われていると思われるからです。
私が考える人工物とは、ある物質に何らかの方法で、何らかを付加、除去を行い『精製されたもの』です。
ここで、何らかの方法に注目です。
水洗い
天日干し
濾過
加熱や冷却による昇華や気化
電気分解
他の成分によるさまざまな化学反応
下に行くほど化学っぽいと感じる方がほとんどなのではないでしょうか?いずれにしても、どの方法をとっても、変化が起きていれば、化学物質と考えるべきだと私は考えます。
ここで一番大事な注目点は、一見一番危険に思える化学反応を頂点に、下にいくほど、不純物からかけ離れた精製物となっていきそうだなぁと言う点です。
化学反応は、理解が難しい上に、水洗いなんかの目視による簡単なチェックが効かないため、恐ろしく感じやすいです。でも実際は、水洗いや天日干しの方がよっぽど、目視には見えない怖さを抱えているとも言えるのです。
天然や伝統の精製方法は、何となく安全な気持ちになる事は良い事です。
が、不特定多数にわたる大量生産される現代の商品は、化学の裏付けも相まってこその安心とも言えませんか?
いずれにせよ、『天然』という言葉自体には大した意味が無いのが現在の商品のほとんどで、本気で『天然』にこだわった商品があったとしたら、むしろ、さまざまな『不明』の怖さをもった商品であり、今日の広告からは見抜く事がほとんどできないという危険を抱えていると言えると思います。
天然やボタニカルで隠された真実
天然が生み出してしまっているネガティブ要素はもう1つあります。
天然物が喜ばれる事を知っているメーカー各社は、悪気は無くとも、かえって真実が見えづらい広告や成分表示をしていると言えることです。
例えば、8種の天然植物エキス配合!と広告し、成分表示に、セージ葉エキス、ツバキエキス、、、、ときちんと8つ記載が合ったとしましょう。
これは、自然派には聞こえは良いですが、植物はそれこそ生き物ですから、個体差があります。産地や育成方法によって全く成分が異なるかもしれません。ですが、この広告と成分表示からは、どう育ったのか?どこの植物か?いつどうやってエキスとして抽出したか?どの程度の量を何に溶かして配合したのか?全く見えません。
そもそも、植物がエキスになった時点で、私からすれば立派な化学物質です。
皆様から見ても冷静にみればそうではありませんか?
一応断っておきますが、植物エキスの効果を否定しませんし、まして危険は一切無いはずです。
ただし、天然物は、そのアピールのために、不明点が多くなってしまうために、むしろはずと言わざるを得ないのです。
逆に言えば、我々にとって明らかな化学物質は、勉強さえすれば、成分表示で配合成分として記されているだけでも、精製方法も見えてくるし、不純物を含んでいないであろう事も明らかだとも言えます。
そういった意味で、天然由来と言った言葉も、かなり怪しいです。
アミノ酸系シャンプーは、天然由来
石油系シャンプーは非天然由来
としてアピールするシャンプーも多いですが石油も天然成分ともいえる気がしませんか?自分で言っててなんですが、言葉遊びになりがちですよね?
そうです、世の中の広告は、言葉で遊んでいると言って過言では無いと思うのです。深刻なのは、遊んでいたはずの言葉が恐怖をあおり、私たちの商品選択に根拠の無い根をはってしまっていると言う事です。
「知らないこと」が「怖さ」を生む。怖さを逆手に取ったシャンプーのイメージ広告
シャンプーについて調べていると、こんな情報をよく目にします。
- 石けんは無添加で刺激がないので誰でも心配なく使用できる
- 合成化学薬品のシャンプーは皮膚を溶かす
- 出産後の羊水から使用していたシャンプーの香りがした
- ラウレス界面活性剤の経皮毒は(皮膚からの体内侵入)危険だ
- アミノ酸系シャンプーは体と同じ成分なので体を保護してくれるので良い
いろんな情報がとびかっていますが、私から見れば、『全部間違い OR 根拠が不明』です。
これらはすべて、私たちの無知から来る恐怖が生んでしまった情報だと思われます。だから、どの情報も、曖昧な認識で見直せば「なんとなくそんな気がする」と思わせるのに充分な情報ですよね。
ですから、まず、そんな曖昧な恐怖を吹き飛ばすために、シャンプーは危険な薬品ではない、安全な洗浄剤だと認識するべきなのですが、、、それが難しい意外な理由があります。シャンプーは、もちろん、油を落とす洗浄剤ですから、お肌に刺激はあります。
ですから、シャンプー登場から今日まで、さまざまな刺激が訴えられてきました。
今でこそかなり、刺激の低いシャンプーです。が、その歴史といえば、いわば、刺激というネガティブな要素と隣り合って歩んできたいばらの道です。ですから、アピールポイントもどうしてもネガティブポイントを脱ぎ捨てましたよ?!と言った所になってしまいます。皮肉にも、私たちの恐怖を逆に煽って来てしまったのはメーカーのこの広告手法です。
例えば「無農薬」「無添加」「パラベンフリー」「ノンシリコン」「ノンカチオン」などなど、、です。
一見、どれも地球にやさしく、環境との共存を目指した次世代にふさわしい画期的なコンセプト、というイメージを抱きがちですが、本当にそうなのか、冷静に考えるべきです。
これらのキャッチコピーは、消費者の「分からない」を逆手に、今まで使用してきた化学薬品を自ら悪く言って不安をあおり、化学薬品を理解する事を諦めた人たちにとっての、ここから先はヤバいという、なぞの恐怖のデッドラインの内側に、新商品をねじ込むための広告といえます。
本来は私たち消費者のために、使用している化学薬品のメリットや安全性を訴えるような広告手法が望ましいですよね。化学薬品(わからないもの)を安心で便利な必需品(わかるもの)にするような広告です。
だけど、広告の一番の目的は販売量の増加です。
皮肉なもので、何かを否定しつつ他商品と差別化したこれらの広告は、販売戦略としては見事!としか言いようがありません。コンパクトにまとまっていて、短いCMや、限られたパッケージのスペースにも対応できるし、分かりやすくてキャッチー、かつ、恐怖心もあおる…本当に見事です。
知らない事を見直せば、化学薬品は怖くない
化学薬品に対する理解を諦めてしまった人は、どこからが化学薬品かの線の引き方が当然分かりません。
ですから、分からないという恐怖に任せて、自分でもどうして引いたのか?どこに引いたのか?説明しようのない、恐怖の線を雰囲気で引いてしまいます。その自ら引いたボンヤリした線の外側の物を化学薬品だ!と更に身構えて、より怖い物にしてしまう、デススパイラルに陥ってしまうのです。
私たちにとって、「知ること」というのは正直「めんどくさいこと」ですよね。変に心配事を増やすのも気が重いですし、家事に仕事に忙しい毎日の中で、ついこれらの広告に流されてしまうことも仕方ないことなのかもしれません。。。
だからこそ、知らないまま、安易に流されず、1つ1つの知らないをちょっとずつで良いのです。
知らない事を知る。
知らないを知ったふう。
知ったふうを、知ってるかも。
知ってるかもを知らなくはないw
に変えていきましょう。
その小さく降り積もった知識の上で、あふれる情報の中から自分で本当に必要なものを「選び取る」ことを目指す姿勢をオススメします。